深草十二帝陵 12代もの天皇の陵墓

深草十二帝陵(深草北陵)
深草に深草十二帝陵があります。JR奈良線からも見えるその陵墓は、なんと歴代12代もの天皇の墓です。

深草十二帝陵初めて知った方は驚きかと思いますが、1つの天皇陵に1人の被葬者とは限りません。中にはこうした陵墓もあるのです。陵墓の名称は正しくは深草北陵ですが、12代の天皇の陵墓ということで、地元では深草十二帝陵と呼ばれています。歴代の天皇の代数は今上天皇を含めて125代ですので、およそ10分の1かと思いきや、12代の中には公式には歴代天皇の代数には数えない北朝の天皇も2代含まれています。

深草十二帝陵12代の具体的な天皇名は、後深草天皇、伏見天皇、後伏見天皇、北朝の後光厳天皇、北朝の後円融天皇、後小松天皇、称光天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごようぜい)天皇の合計12代の天皇です。さらにいえば、初代伏見宮の栄仁(よしひと)親王も合葬されています。天皇の顔ぶれを見れば、鎌倉時代から室町時代にかけて天皇の系譜が持明院統と大覚寺統に分かれていた時期の、持明院統(北朝)の天皇を中心とする陵墓ということがわかります。後深草天皇が持明院統の初代で、後小松天皇の時代になって南北朝が合一されました。

深草十二帝陵また、後小松天皇から続く天皇の時代は、応仁の乱を経て戦国から天下統一に至る時期に名前が登場する天皇が並んでいます。このように深草十二帝陵は、両統迭立から南北朝合一、応仁の乱から戦国を経て天下統一、さらには江戸幕府の成立へと、およそ300年間にもおよぶ歴史を偲ぶには、うってつけの場所ではないかと個人的には感じています。

深草十二帝陵なぜ、こうしてまとまった陵墓ができたのか。これにも歴史的な経緯があります。鎌倉時代、この地に安楽行院という寺院が創建され、その法華堂に後深草天皇の火葬後の遺骨が安置されました。以来、後深草天皇の血筋を受け継ぐ持明院統の天皇たちの遺骨を安置する寺となりましたが、この寺が応仁の乱以降、法華堂を残して焼失してしまいます。具体的な焼失時期は不明ですが、戦国時代も終わる後陽成天皇までは法華堂は存在し、遺骨は安置され続けていたようです。

深草十二帝陵その後、法華堂も荒廃しますが、幕末になって法華堂(深草法華堂)が再建され、現在に至っています。明治の廃仏毀釈に伴って、安楽行院は廃寺となる一方、法華堂の周りは深草北陵(深草十二帝陵)として整備をされました。このように、12代の天皇の陵墓といっても、埋葬場所が分からないために闇雲に作っているという類ものではなく、きちんとした歴史的経緯があって存在しています。ただ、法華堂の中に今も歴代天皇の遺骨が安置されているかは、調べてみましたが分かりませんでした。

深草十二帝陵 事務所さて、12代、300年にもわたる天皇の歴史がつまった深草十二帝陵。日本の歴史の中でも、時代は混乱を極めた300年間でもあります。特に、応仁の乱を経た後土御門天皇の頃は、皇室が最も経済的に困窮をしていた時期です。皇室の所領は、武士に横領されて年貢未納が続き、後土御門天皇は、次代の天皇の即位式の費用がないため、位を譲ることさえできませんでした。

深草十二帝陵さらに後土御門天皇が在位のまま亡くなった後も、葬儀の費用が出せず、なんと40日余りにわたって亡骸が内裏の黒戸に置かれたままでした。信じがたいことですが、それほどまでに皇室は困窮し、危機にひんしていた時代もあったのです。時の室町幕府の将軍は足利義政。各地から財を集めて後の銀閣寺を築いた将軍として名高い一方で、困窮した皇室に対しては、誠意ある対応をとっていたとは言えませんでした。

深草十二帝陵の横をJR奈良線が通る次代の後柏原天皇が苦難の末に即位式を行えたのは、天皇になってから21年後のことです。朝廷の儀式も廃絶が相次ぎましたが、後柏原天皇や次の後奈良天皇は出来る限り復興に務め、乱れた国家の安寧を願う儀式をなんとか続けようとしていました。やがて時代は天下統一へと向かい、織田信長は、正親町天皇を守るという名目で上洛し(足利義昭も奉じましたが)、後を引き継いだ秀吉は正親町天皇によって関白に任じられました。

深草十二帝陵 駐車場もある次代の後陽成天皇は、豊臣秀吉がかつての平安京の内裏跡に築いた聚楽第に招かれ、大いにもてなされました。朝廷の権威も、信長と秀吉によってようやく取り戻され、秀吉亡き後、関ヶ原の戦いを経て天下を握った徳川家康は、後陽成天皇から征夷大将軍に任じられています。後陽成天皇は、次代の後水尾天皇とは折り合いが悪く、そのことが影響してか深草の天皇墓も後陽成天皇で終焉を迎え、以後の墓は泉涌寺へと移っていくことになります。さて、現在の深草十二帝陵は住宅街の中にひっそりとその敷地があり、すぐ横をJRの奈良線が通っていて、実は電車からも眺めることができる陵墓です。機会がありましたら、訪れてみて下さい。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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