知恩院にある仏頭

知恩院 仏頭
知恩院の境内奥、勢至堂の前を散策していると突如現れる仏像の頭(仏頭)があります。

知恩院 勢至堂浄土宗の本山・知恩院の境内の奥、御影堂を回り込んだ裏にある智恵の道から108段の階段を上ると、勢至堂や法然上人の御廟があります。この辺りがもともとの知恩院のエリア、下の御影堂や三門エリアは江戸時代に徳川将軍家によって拡張された部分です。勢至堂は境内でも最も古い建物で、室町時代の1530年の建造です。今の御影堂ができるまでは、勢至堂が本堂でした。そんな勢至堂や御廟のエリアにあるのが、大きな仏像の頭の部分だけが安置されている仏頭です。人の大きさほどはあって存在感が際立っており、初めて見ると驚かされることでしょう。ただ看板等の説明はないため、疑問を抱いたまま帰られる方も多いようです。

知恩院 勢至堂この仏頭は、元は新潟県にあった「与板大仏」という丈六大仏(高さ約5m)で、大正12(1924)年に造られました。新潟県柏崎市与板の浄土真宗・光西寺の当時のご住職が、日清戦争の戦死者慰霊のために仏像を造ろうと考え、京都や奈良に出向いて仏像の作り方を学び、帰郷したのちに、高さ4mあまりの阿弥陀如来像などと一緒に造り上げたものです。実はご住職は大仏が完成する前年に亡くなっているそうですが、意志が受け継がれて完成に至ったのでしょう。しかしご住職亡き後、光西寺は次第に衰え、仏像類を安置していた建物も火災で焼失したり豪雪で失われ、阿弥陀如来像と大仏の頭部だけが新潟県の長岡に運ばれて、そこからさらに数カ所を経て神奈川県三浦市の城ケ島に至り、最終的に知恩院へとやってきました。

知恩院 宝佛殿やってきた理由は京都の南、木津川市にあった高麗寺(こまでら)の再建計画が昭和49(1974)年の浄土開宗800年記念事業として推進されたため。知恩院は再興のために寺地を提供し、高麗寺が再興された暁にはその本尊として城ケ島にあった阿弥陀如来像が本尊として献納される予定だったそう。こうした流れの中で、城ケ島から阿弥陀如来像と仏頭がひとまず知恩院に移されました。しかし、その後は高麗寺の発掘調査の遅れやバブル崩壊などが重なって再建計画はとん挫。知恩院には阿弥陀如来像と仏頭が残されました。現在、この阿弥陀如来像は宝佛殿のご本尊としてお祀りされ、仏頭は勢至堂の前西側の位牌堂に安置されています。時代にほんろうされながら京都へとやってきた仏頭(や阿弥陀如来像)。穏やかなその表情には自然と手を合わせたくなります。なお、今回の記事は「知恩院散策記」を参考にしました。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。特技はお箏の演奏。

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