神明山古墳と丹後古代の里資料館

神明山古墳
京丹後市の竹野神社のすぐ隣にある巨大古墳が、神明山古墳。近くにある丹後古代の里資料館とあわせて、丹後王国とも称される古代丹後を偲べる場所のひとつです。

神明山古墳考古学ファンの間では有名な話ですが、丹後は京都府はおろか日本海側屈指の巨大古墳がいくつもあるエリアです。大和に近い南山城よりも、秦氏が栄えた山背盆地よりも、丹後の古墳の方が規模が大きく、その昔は強大な権力を持った一族がいたことが想像できます。特に規模の大きい網野銚子山古墳、神明山古墳、蛭子山古墳は日本海三大古墳ともいわれ、丹後のみならず日本海側を代表する古墳です。

神明山古墳丹後国は713年に丹波国から分国をされたため、それ以前は正確には「丹波」時代の話ですが、丹後エリアの古墳時代の発展ぶりは、便宜的に「丹後王国」とも呼ばれています。記紀の中では、第9代の開化天皇から第12代の景行天皇にかけて、丹後出身の人物との血縁関係が記されています。さらに、伊勢神宮の外宮に丹後より遷されたという豊受大神が祀られているように、祭祀の面でも中央とは重要な繋がりがあったことが推察されます。考古学的にも、弥生時代後期の墓からは、日本海を通じて大陸から入手したと思われる副葬品が見つかっており、こうした貴重な副葬品は北九州を除けば日本海側では丹後に集中をして見られるもの。交易を通じて大きな勢力を築いてきたと想像されています。

丹後古代の里資料館そして古墳時代には「丹後王国」にふさわしい巨大な古墳が登場します。4世紀の中葉には蛭子山古墳(墳長145m)、4世紀後半には網野銚子山古墳(墳長198m)、そして4世紀末には神明山古墳(墳長190m)が登場し、それぞれ日本海三大古墳とも呼ばれているのです。以前にご紹介をした竹野神社(たかのじんじゃ)のすぐ隣に位置しているのが神明山古墳で、同じく竹野神社のすぐ近くには「丹後古代の里資料館」があり、丹後王国について学びたい方には必見の資料館となっています。

古墳時代の神明山古墳神明山古墳は、3段築盛で埴輪・葺石を持ち、円筒埴輪の中には舟をこぐ人の絵が線刻されたものも見つかっています。古墳が造られた当時は一帯の平地は竹野湖または竹野潟と呼ばれる潟湖が広がっており、こうした穏やかな潟湖が日本海の他のエリアにも点在して重要な港の役割を果たし、大陸の文化が丹後まで伝えられたといいます。現在も、丹後では久美浜湾や阿蘇海が潟湖で、京都府最大の淡水湖である離湖(はなれこ)も古代には潟湖であったとされ、古代丹後の穏やかな水面を思うことができます。

神明山古墳から望む立岩さて、神明山古墳は、竹野神社から歩いて墳丘に登ることができます。その大きさには驚くばかり。後円部の墳長からは、かつての竹野湖(潟湖)を偲ばせる広大な平地が開け、海側には以前ご紹介した「立岩」も望めます。あの大岩はきっと古墳時代にも綺麗に見えていたことでしょう。そしてこの神明山古墳も往時は埴輪や葺石に覆われたさぞ立派な姿を湖面に映していたのだと想像できます。現地に立てば、隆盛を極めた丹後の歴史を肌で感じることができます。丹後を語るうえで古代史は外せません。他の、網野銚子山古墳、蛭子山古墳についてもいずれブログでご紹介したいと思います。

丹後古代の里資料館丹後古代の里資料館では、貴重な出土品が展示をされて古代丹後について学べるほか、竪穴住居なども再現されています。展示資料は撮影がOKです(フラッシュは使用不可)。駐車場に車をとめて竹野神社や神明山古墳にも足を延ばせますので、お時間のある方はぜひ訪れてみてください。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2016」監修。特技はお箏の演奏。

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