本法寺 岸竹堂の虎図公開

西陣の本法寺では、岸竹堂(きしちくどう)の虎図が2月13日まで公開されています。

本法寺 虎図(現地の看板より)

本法寺は、永享8(1436)年、日親(にっしん)上人が創建した日蓮宗の寺院で、日親は時の将軍・足利義教に意見して投獄され、焼けた鍋を被らされたとの伝承で知られています(鍋被りは史実ではないとも)。獄中で知り合った本阿弥清信の帰依を受け、のちに寺を再興し、本法寺は本阿弥家の菩提寺となりました。

本法寺

境内には清信の孫・本阿弥光悦が手掛けた「三巴の庭」(巴の庭とも)があり、巴の形をした三つの築山があります。また丸い石は「日」を、蓮池は「輪」の形で日輪を、池には日蓮聖人(しょうにん)の名前にも入っている「蓮」が咲きます。また、光悦遺愛の手水鉢があり、苔も綺麗なお庭です。

本法寺

長谷川等伯ゆかりのお寺としても知られ(等伯のお墓もあります)、等伯によって描かれた「涅槃図(ねはんず)」は、例年3月から4月に実物が公開されます(レプリカは常時公開)。今年は2月13日まで、岸竹堂 (きしちくどう) の虎図も公開されています。 岸竹堂は岸派(きしは)の4代目。初代は江戸後期の絵師・岸駒(がんく)で、虎の絵に秀でたことで知られ、清水寺には灯籠の石に刻まれた虎の絵が残されています。あまりによく描かれていたため、夜な夜な抜け出て水を飲みに行ったとの伝説があります。岸駒は、虎の毛皮だけではなく虎の頭骨や四本の足を入手し、実際の虎の形状を計測して、様々な角度から写生して腕を磨いたといいます。

本法寺

2代目が岸駒の長男の岸袋(がんたい)。長命で父と同じく虎や動物の絵を得意とし、現在も残る京都御所の諸大夫の間の”虎の間”に虎の絵を描いています。3代目に数えられるのが岸連山(きしれんざん)。岸駒の弟子で養子となり、岸袋とともに岸派を引っ張りました(岸袋より先に亡くなっています)。角屋(すみや)もてなしの文化美術館では、岸連山の見事な鳳凰の絵を見ることができます。

本法寺

そして、岸連山の弟子で岸派の4代目が岸竹堂 (きしちくどう)です。彦根藩出身で狩野派を学び、連山に弟子入りすると娘婿として養子となりました。しかし、時代は幕末の混乱期に入り、元治の大火もあって書き溜めた写生画や模写を失い、生活は困窮。一時丹後へ移るなど、苦労を重ねました。明治になって友禅の下絵を描くなどし、やがて生活が安定した岸竹堂は、京都府画学校の教師となり後進の育成にもあたりつつ、西洋画を取り入れるなど自らの作品を追求していきました。

本法寺

岸派は代々虎や動物の絵に秀で、岸竹堂も得意としていましたが、63歳の時にサーカスで生まれて初めて本物を虎を見た竹堂は大いに衝撃を受け、連日通って写生を続けたといいます。虎を描くことに執着するあまり、ついには発狂したとの話があるなど(画家逸事談、明治36年)、虎を描くことに命をかけたともいえる画家でした。本法寺で公開されている虎図は明確な制作年は不明のようですが、そうした背景のある竹堂の絵として眺めると、また印象も変わるかと思います。周辺では3月18日まで報恩寺でも鳴虎図(1月17日~は複製)が公開されていますので、併せて訪問していただくのもおすすめです。

本法寺

ガイドのご紹介

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京都検定1級に4年連続最高得点で合格(第14回~第17回、第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として10年以上。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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