埴輪が並ぶ恵解山古墳

長岡京市にある恵解山古墳(いげのやまこふん)は、地域を代表する古墳として埴輪が復元されて整備され、近年は山崎合戦の折に明智光秀が陣を整備した可能性がある場所として注目されています。

恵解山古墳

恵解山古墳は、古墳時代中期の5世紀前半に築かれた全長128mの前方後円墳で、桂川右岸の乙訓(おとくに)地域では最大の古墳です。後円部は削平されて埋葬の主体部は残っていませんが、出土した石材から竪穴式石室と石棺だったと見込まれています。

恵解山古墳

前方部からは約700点にもおよぶ鉄製武器が埋納されているのが見つかっています。貴重な鉄製品をこれだけ多く納めていることから、中央政権と結びついた被葬者の強大な権力がうかがえます。場所が前方部の中心線ではないため、対となる場所(現在は墓地)に農工具などが納められた埋納部があった可能性も推察されています。

恵解山古墳

古墳の平坦面には埴輪が並び、円筒埴輪を中心に、貴人に差し掛ける傘を表現した蓋(きぬがさ)形埴輪や家形埴輪などの形象埴輪も見つかっています。また、古墳は葺き石で覆われ、造営当時は白く輝くように見えたそうです。

恵解山古墳

くびれ部には東西に造り出しがあり、西は方形で円筒埴輪が並び葬送儀礼を行ったとみられる一方、東は不定形な石敷の州浜状で水鳥形埴輪が見つかっています(現物は長岡京市埋蔵文化財センターで展示)。

水鳥形埴輪 長岡京埋蔵文化財センター

古墳は近年の調査で、江戸時代になって古墳上に墓が作られる前の造作の跡がみつかっており、戦国時代後半期の遺物や着弾した火縄銃の弾が見つかっていることから、明智光秀が羽柴秀吉と戦った山崎合戦の際に造作をしたとも推定されています。西には西国街道、北には勝竜寺城があり、当時の周辺部は低湿地だった中では貴重な陣地だったと考えられます。

恵解山古墳

古墳は、以前は樹木が茂っていましたが、埴輪列や葺石などの復元整備工事が行われ、2014年に公園としても公開されています。子どもたちの遊び場としても親しまれ、中には歴史に興味を持ってくれる子もいてくれるでしょう。よければ足を延ばしてみて下さい。

恵解山古墳

ガイドのご紹介

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京都検定1級に6年連続最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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