小枝橋からの菜の花


小枝橋から見る鴨川の菜の花が圧巻でした。
小枝橋は、「鳥羽伏見の戦い」で戦いの火ぶたが切って落とされた橋。
時は幕末、最後の将軍、徳川慶喜は名目上「大政奉還」をし、その後の実際の政治では主導権を握ろうとするものの、朝廷からは王政復古の大号令も出され、小御所会議では自身が不在のまま辞官納地が決定されるなど、追い詰められていきます。さらには江戸での薩摩の横暴に、ついに大阪城にいた慶喜は、薩摩を討つため上洛しようとします。
鳥羽街道方面へ来た幕府軍は1万5千。それを阻止しようと対する薩長を中心とする新政府の軍勢は6千でした。この付近で両軍がにらみ合い「将軍様が勅命で上洛するのだから通せ」「いや、勅命があるとは聞いていないから通せない」と押し問答が続き、夕刻になって強行突破しようそとする幕府軍に対し、薩摩軍の大砲がとどろきました。かくして「小枝橋」付近で最初の戦いが始まり、やがて伏見の方でも戦いが始まりました。翌日になって、援軍に錦の御旗を掲げて親王が出陣することで幕府軍の士気が下がったり、最新鋭の兵器も威力あって、数に劣る新政府軍が押し込み、幕府軍は総崩れとなって行きました。こうして鳥羽伏見の戦いは新政府軍の勝利となり、明治の時代へと繋がっていくのでした。
そんな歴史も今は石碑などが残るのみ。橋からの菜の花は圧倒的な量で綺麗に咲いていました。ちなみにこの橋は、行政上、京都で南北に最も長い道「千本通」 でもあります。千本通が鴨川を越えるんです。市街地では想像もつかない光景ですね。

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