崇道神社 小野毛人の墓


今回は、崇道神社にある小野毛人の墓のお話。この墓は奈良時代としては珍しく、埋葬者が確実に分かっています。というのも、墓誌が発見されているからです。
小野毛人(おののえみし)は、遣隋使で有名な小野妹子の子どもです。小野氏は渡来系の民族で、古くからこの上高野の付近を本拠地にしていました。墓誌は江戸時代の初めに発見されました。銅製で金メッキが施された「位牌」です。発見後も墓に戻されていたそうですが、明治時代に盗難にあいかけたため、大正時代に墓から取り出され国宝に指定されました。
古い時代の墓は文献や伝承などで大よそは分かっても、実際に本人とはなかなか確定できません。しかし、この墓は奈良時代のものにも関わらず、墓誌が発見されたことで埋葬者が確実にわかる大変貴重なものです。なお、現在この墓誌は京都国立博物館に保管されています。
さて、崇道神社からの登り口には「山上140メートル」と書かれた石柱があります。140mの数字だけ見ると「近い」といった印象を持ちますが、実際にはかなりきつい坂を登っていき、墓は山の頂上付近にありますのでそれなりの覚悟が必要です。なお、墓上の石碑は村人によって大正4年に建てられたもので、墓や墓誌の由緒が書かれています。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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