台風から子どもの命を守った教師 知恩院門前の子弟愛の像


知恩院の山門から円山公園へ入る途中の道路わきに「子弟愛の像」があります。
時は昭和9年(1934年)9月21日。室戸台風が京都を襲いました。京都の130年間の観測記録の中で歴代1位の風速を記録したのがこの室戸台風です。10分間の平均で28m/s。最大瞬間風速で42.1m/sもの猛烈な風が京都の街を襲いました。
日常の感覚で「今日は風が強いな」と感じるのが5m/s程度です(10分間の平均風速。以下、特に注記がなければ同)。風圧は風速の2乗に比例しますので、28m/sの風は「今日は風が強い」と感じる風の30倍以上も強い、想像を絶する暴風です。
台風は午前5時頃に室戸岬に上陸。徳島付近にあった午前6時頃、大阪の風速はまだ6m/sしかなく、いつもより多少風が強い程度の感覚で児童たちは登校したのでしょう。情報網が発達していなかった時代の悲しさです。台風は時速60kmもの非常に速い速度で進み、午前8時頃に大阪と神戸の間に上陸。風は急激に強まり、大阪では7時20分に14m/s、8時には30m/sにも達しました。京都では8時15分からの30分間に最大瞬間風速の42.1m/sを記録しています。

当時はまだ木造校舎がほとんど。多くの校舎が暴風で倒壊し、京都市下では児童112名、教員3名が亡くなりました。中でも、西陣小学校の41名、淳和小学校(西院校)では32名が突出しています。その淳和小学校(西院校)での校舎倒壊の時、松浦寿恵子先生(訓導)は、自らの体を盾にして児童7名に覆いかぶさり、子どもたちを守ったそうです。残念ながら先生は亡くなってしまいましたが、児童は助かりました。先生は31歳の若さ。まさに命がけで多くの子供を救ったのです。

この姿は人々の心を打ち、子弟愛への思いと慰霊の意味を込めて青銅で像が作られました。像は戦時中に一度姿を消しましたが、昭和45年に再び制作されたのが現在の像です。吉井勇がこの像を見て「かく大き 愛のすがたをいまだ見ず この群像に涙しながる」と詠んでいます。

観光客が多く歩く界隈。ほとんど見向きもされない像ですが、同じような像が大谷本廟にもあります。現在、校舎は鉄筋コンクリートで作られ、倒壊することはまずないでしょう。しかし、以降80年近くの月日が流れても、当時の記録を超える風を京都は経験していません。そして室戸台風を記憶する人も非常に少なくなっています。

もし室戸台風と同様かそれ以上の風が吹けば、誰も経験したことのない「想定外」の災害が起こる可能性は十分にあります。歴史は繰り返す。天災は忘れたころにやってくる。先人たちが目に見える形で残してくれた教訓を、見過ごしてはいけないのです。奇しくも室戸台風からちょうど77年目の9月21日も、台風の襲来を受けることになります。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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