坂本龍馬暗殺の地は実は!?


今日は石碑のお話。坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地の石碑は、河原町通蛸薬師下る西側にあり、近江屋の跡地として知られています。しかし「実はここではない」としたらどうでしょう。
「ここではない」とは書きましたが、大枠ではこの場所でよいのでしょう。問題は石碑のある場所です。実はこの石碑は厳密な近江屋の跡地には建っていません。もうこの話は有名になっているのでしょうか。Wikipediaにもちゃんと載っていました。
歴史地理学者・中村武生氏の著書によると、維新後、近江屋跡を買い取った人物が建碑の依頼を断ってしまいます。と言うのも、人の殺された場所を示すことを嫌ったからだそうです。確かにそれはもっともかもしれません。そんな時、一軒北の隣地の住人が、うちならいいよと言ってくれたため、その敷地に建てられたのが今の石碑です。隣地の家は龍馬殺害事件の際にもあり、中岡慎太郎がその屋根に逃れたとされることも建碑の後押しとなったようです。(中村武生著:「京都の江戸時代を歩く」より)
しかし、時が流れ当時を知る人がいなくなると、やはり石碑のある場所が「その地」としてあがめられることになります。石碑は過去の歴史や由緒を伝えてくれる貴重なものですが、場所が厳密ではないものは、そのことも含めてきちんと伝えて行くべきなのでしょう。ということで、写真も南の実際の近江屋跡地を含めて撮ってみました。
また、幕末当時は河原町通が現在よりも狭く、近江屋自体は今の河原町通に多くがありました。龍馬がいた母屋の奥の部屋は、ちょうど現在の歩道の上に位置しており、まさに人が行きかう場所の頭の上が暗殺の場所だったようです(らくたび文庫:「幕末 龍馬の京都案内」より)。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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