霜降の京都 季節感のずれ


24日は二十四節気の一つ、霜降(そうこう)です。…お肉の「しもふり」ではありませんよ(笑)
霜降は、暦便覧によると「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆえなり」と表現されています。今回も嵐電の紹介動画をご覧ください。京都も少しずつ木々が色づき始めています。

霜降と季節感のずれ

二十四節気は、いくつかのグループに分けることができます。主なものでは、太陽の高度を元にしているもの(立秋や夏至など)、気温を元にしているもの(処暑・大寒など)、気象現象を元にしているもの(霜降・白露など)などがあります。

気温の変化傾向は太陽の高さによって決まるので、大局的な気温の流れを元にしている節気(処暑など)も季節感のずれは大きくはならないでしょう。反対に気候変化に最も大きな影響を受けるのが、ピンポイントな気象現象を元にした節気。都市化によるヒートアイランドと乾燥化が進んだ現代の京都では、初霜の平年日は11月18日です。今の時期の「霜降」は少し早い節気となってしまいました。ただ、二十四節気の日付はその期間のスタート日を表しますので、次の「立冬」の前日までが厳密にいった霜降の期間。今年ならば11月7日までに霜が降りればよいことになります。が、やはり現代の気候ではなかなか難しい。

気象的には「霜」は最低気温が4℃以下の場合に発生しやすくなります。気温は地上1.5mで測っていますので、地面付近では0℃付近まで下がって空気中の水蒸気が凍りつき、「霜」が降りることがあるのです。霜注意報の発表基準も「最低気温が4℃以下」としているところがあります(地方によって異なる)。

ちなみに今から80年前(1931年)の京都の10月の観測値を見ると、「霜降」の時期に最低気温が4℃を下まわる日は何日もあり、驚くのは1931年は10月28日に1.7℃まで下がっていること。現代の常識ではおよそ想像できない、氷が張っても不思議ではないほどの気温。やはり昔は「霜降」の季節感は外してはいないと個人的には感じています。今朝の最低気温は霜には程遠い14.7℃。都市化は快適さと引き換えに、いくつかの季節感を奪い去っていきました。

なお、霜をもたらす冷たい空気は周りより重いため、川の水のように低い場所へと流れることで、「霜道(しもみち)」と呼ばれる、被害を受けて草や作物が枯れた道を作ることもあるそうです。農作物にとっては霜(実際には霜が降りるほどの低温)は大敵。農家の方は季節感などとはとても言えないほど、心配されていることでしょう。ちなみに茶畑で見られる「扇風機」は、地面にたまった冷気を拡散して温度を上げる目的で設置されています。

新しい二十四節気

このように現代の季節感に合わないものもある二十四節気。日本気象協会は「日本版二十四節気」として、来年をめどに新しい二十四節気を提案しようとされています。なかなか面白い取り組みですね。
ただ、補足資料にある「立秋は盛夏、立春は酷寒の時期に迎えるため、その時分の季節感と一致しません。」の一文には私は賛同しかねます。立秋や立春は「その”季節の気配”が感じられる頃」です。立春は冬の中に春の気配を感じ、立秋は夏の中に秋を感じるもの。さらには気温が夏や冬へと向う、気温の変曲点を見事に表現しています。つまり立秋や立春は、当然秋や春の真っ盛りにあるはずはなく、今の世でも変える必要は全くないでしょう。むしろ正しい意味を広めていって頂ければと思います。

さて、私が「霜降」のかわりに考えてみたのは「息白(そくはく)」。暦便覧風に文句を考えるならば、「陰気ますます重なりて 息白く露を結べばなり」といった感じでしょうか。霜が降りる気温が4℃ならば、息が白くなるのは8℃くらいから。京都の10月下旬は、気温が1ケタに下がる日が出てくる時期で、息が白くなり始める頃に当たります。実際に週間予報(気象庁:24日11時発表)を見ると、27日朝の予想最低気温は8℃。まさにぴったりでしょう。ただ、漢字を見ないと呼び名だけでは意味がわからないですね(笑)

27日朝の「息白」を連れてくる寒気は25日の午後から入ってきます。大阪では木枯らしが観測されるかもしれません。それにしても空が美しい季節となりました。今日も僅かな時間で様々な雲を見せてくれます。秋の空は「雲の博覧会」だといえるでしょう。散策の際には。是非空も眺めてみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として9年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。散策メニューはこちらから

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