新熊野神社の左義長(さぎちょう)


少し前ですが、新熊野神社左義長(さぎちょう)が行われました。

左義長は「どんと焼き」とも呼ばれ、お正月飾りなどを燃やすことでその年の五穀豊穣や厄除けを祈願する行事で、京都各地の神社で行われます。多くは小正月の15日に行われますが、9日には一足早く、新熊野(いまくまの)神社で左義長が行われました。

まず本殿前で見事な獅子舞が奉納されます。笛や太鼓に合わせて舞いますが、動きが面白く、時には笑いも起こっていました。獅子の耳が動いたり、尻尾も本物の動物そっくりに動かすなど細かい動作まで本当によく表現されていて驚きました。舞いの様子は動画もありますのでご覧ください。編集して短くしていますが、それでも6分を超えました。もとは10分ほどの舞で、息の合った動きや所作などは、相当な修練を積んでおられることと思います。

獅子舞の後は、神事が行われます。参列者も含めて般若心経を唱えますが、山伏による詠唱だけでなく雅楽も奏されるのが印象的でした。そして、いよいよ大きな櫓が組まれた火床に火が付けられます。火床はかなり大きく、2.5mくらいはあるでしょうか。火はあっという間に燃え広がります。大きな火床をそのまま燃やしているのは危険なので、程よい頃に倒しますが、方向は毎年の恵方に向かって行います。今年は、北北西の方向に倒されました。倒れる様子などは、こちらも動画がありますのでご覧ください。

火が落ち着いてくると、その火でお餅をあぶります。火床の火で焼いたお餅を頂くと無病息災で過ごせるということで、本格的に焼きはしないまでも火であぶります。こちらの左義長では、一般の参列者も玉ぐしの奉納ができ、続いてお神酒も頂き、最後にあぶったお餅を頂きます。また、別にぜんざいも振る舞われ、多くの方が体を温めていました。この日は、近くの泉涌寺での七福神めぐりもあって、左義長の時間帯は大勢の参列者で賑わいます。日を合わせて行っているのかもしれませんね。

新熊野神社は、後白河上皇の御所・法住寺殿の中に、平清盛が造営した神社です。清盛は熊野権現を厚く信仰していました。清盛がまだ安芸守であったとき、舟を使って熊野へ参詣した際に、大きな鱸(すずき)が舟の中に飛び込んできました。鱸は出世魚で、これは熊野権現のおぼしめしと修験者が食べることを勧めるので、精進潔斎をしていた身でしたが、清盛が自ら調理をして食べたといわれています。その後の清盛の出世は目覚ましく、ついに最高位の太政大臣にまで昇りつめることになります。熊野信仰は平氏だけでなく、当時の皇族・貴族の間にも広がっていて、後白河上皇は生涯に34回も熊野詣をしたそうです。新熊野神社の境内には、後白河上皇のお手植えといわれる大きな楠があって、周辺のシンボルともなっています。今年の大河でも、どこかで紹介されることがあるやもしれませんね。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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