京都 源為義ゆかりの史跡


大河ドラマの「平清盛」。今週(1月29日)の放送では、小日向文世さんが演じる源氏の源為義(ためよし)が印象的でした。平家の忠盛(中井貴一さん)との対比が際立っていますね。その源為義の墓が、京都にあります。
京都の源平関連史跡は比較的知られていないものも多いですが、実は様々に隠されています。今後もドラマの展開に合わせて紹介していきたいと思います。

源為義は、鎌倉幕府を開く源頼朝のおじいさんに当たる人物です。為義は、父(義親)が忠盛の父(正盛)に討たれたとドラマの中でもなげいていましたが、為義の父である義親(よしちか)は、出雲国(現在の島根県)で乱暴を働いたとして、白河上皇(大河では伊東四朗さん)の命によって、忠盛の父である正盛が討伐をします。実は討伐された義親のさらに父、為義から見ておじいさんに当たるのは、八幡太郎で知られる義家で、後三年の役(1083年)などで武功をあげ、院の昇殿を許されるなど武士としての力を持っていました。つまり、為義のおじいさんの時代には、源氏の方が栄えていたのです。

さて、義親の一件は源氏にとって大きな汚点となり、義家の死後、源氏は内部争いで力を落としました。さらには為義の家来が乱暴を働いたり、息子の一人(為朝)が九州で暴れるなどして朝廷の信頼を失ってしまいます。一方、平家は義親を打ったことをきっかけに取り立てられ、今回のドラマで描かれているような衰える源氏、栄える平家という場面へと繋がっていきます。なお、平家の京都の本拠地・六波羅に対して、源氏の本拠地である堀川館の跡地には若宮八幡宮(若宮通花屋町上る)があり、源義家誕生地の碑も残されています。

為義はドラマでも必死さが描かれているように、源氏の力を盛り返そうと奮闘します。源氏は藤原摂関家に仕えていましたが、やがて忠実(ただざね:大河では國村隼さん)の息子二人による勢力争いが勃発します。息子の一人は、今週の放送でも登場していた忠通(ただみち:堀部圭亮さん)。もう一人は今後登場する頼長(大河では山本耕史さんの予定)。源氏は、為義の息子がそれぞれに分かれて仕えることになりました。玉木宏さん演じる源義朝(よしとも)は、忠通の方に仕えることになります。やがて天皇家も含めた激しすぎるほどの人間関係のもつれあいは、血肉を分けた保元の乱の戦いへと繋がっていきます。源氏も勢力を二分して戦わざるを得ない状況になっていくのです。ここに至るまでの各々の軋轢の積み重ねは、昼ドラに負けず劣らずなほど凄まじく、大河ドラマの今後の描かれ方も注目です。

結果的に為義は保元の乱に敗れ、義朝の助命の願いも叶わず切られることになります。切られた場所が七条朱雀(船岡山との説もあり)。朱雀とは朱雀大路のことで、現在の千本通にあたります。為義は当初は、北白川にあった円覚寺(現在は無い)に葬られましたが、やがて墓は七条朱雀にあった竹林に移され、後裔が江戸時代に古い五輪塔の上に改めて塚を築いて再整備して、権現寺が供養を承ったそうです。その後、明治時代に千本朱雀の旧地から現在の場所へと移る際に、言い伝え通り、古い五輪塔も見つかったとのこと。比較的知られていない史跡ですが、近くには清盛の西八条邸の跡地(梅小路公園)や、若一神社もあります。散策して、往時をしのんでみるのも面白いでしょう。

また、為義が御祭神として祀られている神社が京都にあります。場所は白峯神宮で、摂社の伴緒社(とものおしゃ)です。白峯神宮には保元の乱で敗れた崇徳上皇が祀られ、上皇に味方した人物として為義も祀られています。一緒に祀られている為朝とともに武道・弓道上達の神として信仰され、11月15日の例祭では、お弓奉射神事が行われます。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

より大きな地図で 源為義の墓 を表示

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