等持院の有楽椿


等持院有楽椿(うらくつばき)が美しい花を咲かせています。

3月に入り、椿の季節になってきました。椿は品種も多いのに加えて花の咲く期間が長く、また日本らしい花として好まれるようです。京都にも椿の名所は多く、詩仙堂や霊鑑寺・地蔵院など椿が知られるお寺もあります。数ある椿の品種の中でも侘助(ワビスケ)椿は有名で、秀吉の朝鮮出兵の際に侘助という人物が持ち帰ったとも、千利休に仕えていた侘助という名の男が利休が自刃しようとした茶室に活けておき、利休を感嘆させたともいわれています。

等持院にある有楽椿は、別名・太郎冠者(たろうかじゃ)とよばれる種類の侘助椿で、その色合いが高貴なものとされ、江戸時代の初めからお茶席では重宝されたそうです。名前の由来となった織田有楽は、東京の有楽町の地名でも知られる織田信長の弟で、出家前は織田長益と呼ばれていました。信長の弟といっても家中では低く見られていたようで、武将としての活躍の場はほとんど与えられませんでした。本能寺の変の時は、信長の嫡男・信忠と一緒に二条御所にいましたが、長益は間一髪で脱出して助かりました。残された信忠は自害をし、その後の織田家の没落にもつながります。

長益はやがて秀吉の家臣となって、剃髪をして有楽斎と名乗り、武人としてよりも茶人として仕えました。その後、家康にも近づいたことで、関ヶ原の戦いでは東軍につきます。一方で、淀殿は有楽斎の姪に当たることから、大坂の陣でも徳川方と豊臣方を繋ぐために奔走しますが、大阪夏の陣の前に突然隠居。その後は京都で茶や趣味に没頭して余生を過ごしました。有楽は、千利休から直接茶の手ほどきを受け、利休の死後はその後を継ぐ茶人として重んじられます。1615年に古田織部が世を去ると、名実ともに茶の湯の第一人者となりました。建仁寺には正伝院という寺を再興し、そこに建てたのが、愛知県の犬山に今も国宝として残る茶室・如庵。現在の建仁寺の両足院には如庵の写しの茶室・水月亭があります。

さて、等持院の有楽椿は、樹齢が400年余りといわれ、秀頼が等持院を再興した際に寺に植えたものとされ、有楽斎の時代からあるそうです。実際にそれを示すような大木で、高さは十数メートル、幹の太さは100cmもあり、各地に現存する中で最大の有楽椿といわれています。今はその枝いっぱいに淡いピンクの花を咲かせ、緑の苔の美しい木のたもとに、儚げに花を落としています。光が差すと、木漏れ日に照らされていっそう風情が増します。当世一の茶人に好まれた花。その歴史の大きさを感じられるようです。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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