清凉寺の河津桜 嵯峨野の春


嵯峨野にある、清凉寺の境内では河津桜を同時に楽しむことができます。

今日(31日)は、荒れた天気となりました。風の力は風速が2倍になれば4倍になり、急激に強まるのが特徴です。風速10m/sの風が1平方メートルの壁に加える力は5kgですが、20m/sになれば20kgに、30m/sになれば45kgにも達します。風は強くなればなるほど、急激に恐ろしさを増し、突風は侮ると大変な目にあうこともあるので、十分ご注意ください。雨上がりの夕方は空気も澄んで、風は冷たくとも気持ちのよい空が見られました。

京都御苑・近衛邸跡のイトザクラは、早くも見ごろになってきました。待ちわびた多くの方が訪れています。桃もずいぶんと花開き、梅もまだまだ見頃です。今の時期は、丸太町から今出川まで、御所の西側を散策するのが絶好のコース。穴場は、宗像神社です。境内には早咲き桜が美しく咲きます。今日はまだ咲き始めでしたが、よければ立ち寄ってみて下さい。イトザクラの様子は夕方に写真や動画を撮ってきましたので、改めてブログに書きたいと思います。

嵯峨野の清涼寺では河津桜が咲いています。この桜は平成20年に植えられたもので、近年境内に加わった彩りです。多宝塔の両脇にはまだ白梅が咲き、そのさらに隣に2本の河津桜。桜と梅の共演を楽しむことができます。多宝塔の周りは、梅・河津桜・ソメイヨシノ・楓と、それぞれの季節に絵になる木々が植わっています。清凉寺の釈迦如来は、お釈迦様の生き写しの像として知られていますが、江戸時代には出開帳で地方へと旅をよくしており、この多宝塔はそうして獲得した江戸の信者たちの寄進によって建てられたものです。塔の裏には、源氏物語の光源氏のモデルとも言われる源融(みなもとのとおる)の墓が、隠れるようにして残されています。

本堂の横には、平安時代の歌人・和泉式部も愛したとされる「軒端の梅」があるのですが、今年は私が確認した限りでは花は1輪も見られませんでした。近年、樹勢の衰えが言われていますので、もしかすると・・・。かつてはあった説明看板が見当たらなくなっているのも気になります。なお、もう一つの「軒端の梅」、真如堂・東北院にある白梅は元気に美しい花を咲かせています。

大覚寺・大沢池にある梅園も梅がまだ見頃。足元には、つくしが顔を出していました。まさに「春」ですね。つくしは漢字では「土筆」と書き、確かに筆のよう。英語では「Horsetail」となり、直訳すると「馬の尾」。日本の「つくし」の名は、スギナに付属して現れるために「付く子」からつくしとなったとされています。この日は、お近くの方と思しきお婆さんが、せっせとつくしを採っておられました。持ち帰って食べるのでしょう。余談ですが、私が小学生になりたての頃、校庭の掃除でスギナの草取りをしながら、「これを今のうちに抜いておかないと、大きな杉の木になってしまう…!」と一生懸命でした。後から、杉とスギナは別だと知るわけですが、今でも杉の形に似たスギナを見ると、そのことを思い出します。

広沢池から大覚寺にかけての一帯は、昔ながらの田園風景が広がっています。これは「歴史的風土特別保存地区」に指定されているためで、高い建物はなく電柱も看板も見当たりません。京都には山沿いを中心に歴史的風土特別保存地区が24カ所あり、建物の新築、木竹の伐採,土石の堆積等の現状を変える行為も原則禁止されています。戦後の高度成長期の都市化で消滅の危機にあった京都らしい景観ですが、例えば大原の山里や嵯峨野の竹林の風景も、この制度(古都保存法)によって守られています。

こうして美しい風景を見られるのも、人知れぬ多くの方々の努力があってこそ。田んぼの畦には、オオイヌノフグリやナズナ、ホトケノザなど、都会に住んでいるとあまり見かけることのない草も花を咲かせています。もうじき桜も咲いて、一層春らしくなるでしょう。穏やかな春の一日を長閑な嵯峨野で過ごすのもお勧めです。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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