天龍寺の枝垂れ桜が見頃!


12日は、嵐山から奥嵯峨、大原野などの桜を見てきました。昨日(11日)の雨で進みの早いヤマザクラでは散り始めているものもありますが、ソメイヨシノはまだ満開で迎えてくれます。世界遺産の天龍寺は、枝垂れ桜の名所として知られます。今がまさに見頃で素晴らしい光景に出会うことが出来ました。

天龍寺は室町幕府の初代将軍・足利尊氏が、後醍醐天皇の菩提を弔うために創建したお寺です。もともと天龍寺の地には後嵯峨上皇の離宮がありました。後嵯峨上皇の子どもである後深草天皇と亀山天皇が、それぞれ持明院統・大覚寺統として自らの子孫を皇位につけようとしたため、皇位継承権が分裂します。後嵯峨上皇は大覚寺統となる亀山天皇を支持していたため、離宮もそちらに引き継がれ、大覚寺統(南朝)出身の後醍醐天皇は幼少期はこの離宮の地、すなわち現在の天龍寺の地で過ごしていたとされます。

後醍醐天皇は、苦難の末に武士の力で鎌倉幕府を倒しましたが、自らが行った新しい政治は公家を重んじる政策でした。そのため武士たちの不満がつのっていきます。ある時、鎌倉幕府の残党が鎌倉の地を奪い返すという反乱を鎮圧しに行った尊氏は、敵対する新田義貞を警戒して京に戻らず、鎌倉に屋敷を建てていました。尊氏は後醍醐天皇からの再三の帰京要請に応じなかったため、ついに朝敵として追討の命が下ってしまいます。尊氏は悩んだ末に天皇方と戦うことを決め、ここに尊氏と後醍醐天皇との終生続く戦いが始まりました。尊氏方は、後醍醐天皇へは位を譲っていないと主張していた光厳上皇から、新田義貞に味方するものは討つようにとの命を受け、お互いに朝廷の権威を保って戦うことになります。

結果的に、後醍醐天皇方は京を追われて奈良の吉野を本拠地とし、尊氏方は京都を本拠地としました。そのため後醍醐天皇方を南朝、尊氏が新しく立てた京都の朝廷は北朝と呼ばれます。終わらない戦いの中で、京へ帰りたいとの思いを叶えられないままに、後醍醐天皇は吉野で亡くなりました。京の尊氏は、それぞれに違った主張を持って争ってはいたものの、立派な人物であった後醍醐天皇の菩提を弔うため、天龍寺を創建しました。

現在の天龍寺の境内で、後醍醐天皇が学問所としていた場所に立つのが多宝殿。建物は吉野時代の紫宸殿を模して昭和9年に建てられ、後醍醐天皇の木像が安置されています。この多宝殿の周りが天龍寺の桜が集まっている場所。枝垂れ桜が何本もあって非常に美しい光景を見ることができます。天龍寺はお庭の拝観料+100円で建物にも上がることができますので、是非建物にも上がって頂いて、桜やお庭を眺めて見て下さい。書院では畳に座って額縁のような景色を堪能することもできます。

なお、嵐山のお寺の拝観は午前中がお勧め。天龍寺ならば拝観開始直後の8時半から9時辺りが人も少なく、何より日差しが東から差し込んで大変に美しいお庭や桜を見ることができます。書院からのお庭の眺めは、早い時間帯ならば世界遺産の天龍寺といえども、人を移りこませない写真を撮れるチャンスもあるでしょう。また、お手洗いから続く道が天龍寺の拝観コースの穴場となっており、今は蛍光ピンクのような色が美しい三つ葉ツツジが、日差しを浴びて透き通るような花を咲かせています。苔も大変見事で天龍寺の隠れた絶景ポイントです。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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