平等院と県神社の枝垂れ桜


16日は宇治の平等院へと行ってきました。鳳凰堂前の池(阿字池)のほとりでは、枝垂れ桜が見ごろを迎えています。

京都の桜もソメイヨシノはどんどんと散っています。既に散り果ててしまったところも見かけるようになりました。今日は夕方に雨が降り、宇治では雷も鳴って荒れ模様。私は大きな傘を持っていましたが、傘を持たずに雨宿りをしている方もお見かけしました。しっかり降る雨や吹く風で、桜はいよいよ最後の花弁を散らして行くようでした。しかし、まだまだ見頃の桜もたくさんあります。

平等院は、平安時代の末期、1052年に藤原氏の全盛時代を築いた藤原道長の長男である頼道が、別荘を寺に改めて創建されました。実はこの1052年という年は、釈迦の教えは残るものの、どのような修行をしても悟りは得られなくなる「末法」の世に入る年と考えられていて、人々は不安や苦しみのある現世から逃れて、来世では極楽浄土、すなわち阿弥陀様が作りあげた「楽」の「極」みの世界へと生まれ変わることを強く願いました。そして藤原氏の財力を傾けて、現世に極楽浄土を出現させたのが、この平等院でした。

10円玉でも知られる鳳凰堂は1053年に完成した建物で、源平時代や南北朝の争い、応仁の乱の戦乱をくぐりぬけ、天変地異で大被害にあうこともなく、奇跡のように今に残されています。建物全体が鳳凰が羽を広げたように見えることや、屋根に鳳凰が立つことから鳳凰堂と呼ばれますが、実はこれは江戸時代になって呼ばれ始めた名称で、正確には阿弥陀堂。西方極楽浄土で阿弥陀如来がおられる宮殿を模したものと考えられ、建物は西を背に建てられています。ちなみに平等院と言えば10円玉が有名ですが、1万円札の鳳凰も、平等院の屋根に乗っているものです。また、私が子供の頃のメジャーな切手、60円切手には平等院の鐘の写真が使われていました。今でも2種類のお金にデザインされているほど、日本を代表する建物である平等院は、修学旅行の定番で世界遺産にも登録されています。

鳳凰堂を囲む浄土庭園は、拳大の丸い石を敷き詰めた河原のような州浜や浅い池が特徴。かつては宇治川の水を取り入れていたともいわれていますが、現在の池には水が湧いています。近年の発掘調査によって州浜などが復元されました。ご本尊の阿弥陀如来も当時からのもので、寄木作りという新技法を開発した仏師・定朝の唯一はっきり分かっている作品です。お顔は丸く、表情は穏やか、衣服はゆったりと着て、姿勢にも安定感があります。これが貴族好みの作風だったのでしょう。この阿弥陀如来の作風は後世にも受け継がれました。鳳凰堂の内部には雲に乗って楽器を奏でたり、舞いを舞う雲中供養菩薩が架かり、華やかな極楽浄土の世界が再現されています。

現在は庭に桜が加わり、より一層華やかな雰囲気となっています。平等院といえば藤の花が有名で、近年は浄土の象徴である蓮の花も、平等院蓮として知られていますが、桜と平等院も絵になる光景です。平等院の中にある寺院の浄土院にも「初瀬桜」と呼ばれる桜が咲いています。境内には早咲き遅咲きの桜やソメイヨシノもあり、桜の時期も楽しめるお寺となっています。

平等院の近くにある県神社(あがたじんじゃ)でも、まだ美しく桜が咲いています。県神社は、少なくとも1000年以上は続く古社で、平等院の鎮守社としても祀られた神社。ご祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)で、桜の花に代表される美しく儚いものの象徴となる神様です。天皇家のご先祖は木花咲耶姫命で、彼女だけを妻としたために、私たちの命が有限になったとも言われています。境内の桜は「木の花ざくら」と名付けられており、まさに木花咲耶姫命にふさわしい枝垂れ桜です。

県神社は、以前に犬が寝転ぶ境内としてブログに書きましたが、この日も境内で地元の方と思しき方に懐いていました。独特な雰囲気を持った可愛らしい犬です。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

より大きな地図で 平等院の桜 を表示

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