大船鉾のお囃子


今年の祇園祭の話題の一つに、大船鉾の復活に向けての動きがあります。17日の巡行では鉾の代わりに唐櫃(からひつ)に御神体を入れて運ぶ「唐櫃巡行」の形で、142年ぶりに参加されます。2日にはヨドバシカメラに展示されている大船鉾の木組みの上で、お囃子も披露されました。

2日は山鉾巡行のくじ取り式でした。くじ取らずの8つ(長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾・北観音山・橋弁慶山・南観音山)を除く24基の順番を決めるのですが、一斉にくじを引くのではなく、実は様々な決まりがあります。まず「前(さき)の祭り」のグループと「後の祭り」のグループとに分かれます。山鉾巡行はもともと、お神輿が街を巡行する前のお清めの意味が持つことは昨日の記事にも書きましたが、「前(さき)の祭り」は17日夜にお神輿が八坂神社から出る神幸祭のお清めに、「後の祭り」は24日にお神輿が八坂神社へと戻る還幸祭のお清めの役割を持っていました。つまり、本来は別々の日に行われ、巡行コースも異なっていたのです。

しかし、近年の交通事情により17日と24日とそれぞれ山鉾巡行を行うと影響が大きいため、昭和41年からは「前(さき)の祭り」と「後の祭り」をくっつけて17日に行うこととし、24日のお清めには新たに「花傘巡行」を設けました。さて、以上の経緯からくじ取り式でも「前(さき)の祭り」に所属する山鉾と、「後の祭り」に所属する山鉾とでくじを引きます。すなわち、後の祭りの山が前(さき)の祭りの順番に入ることはありません。余談ですが、山鉾のうち高くそびえる鉾の多くが「前(さき)の祭り」に所属しているため、かつて24日に巡行を見に来た人が「今日は後の祭りか・・・」とがっかりしてしまうことがあったそう。そこから後悔しても手遅れであることを表す「後の祭り」という慣用句が生まれたといわれています。現在、後の祭りに所属するのは全て山で、2年後に大船鉾が復活すれば「後の祭り」では唯一の鉾となります。

くじは引く順場を決める予備くじから始まります。予備くじを引く順番は昨年の巡行順を元にして決まります。本番のくじではまず「前(さき)の祭り」に所属する鉾3基(月鉾・鶏鉾・菊水鉾)の順番を決めますが、こちらは9番目・13番目・17番目のどこかと決まっています。次に前(さき)の祭りの13基の山の順番を決め、必ず先頭を務める長刀鉾の次の山が毎年注目されます。続いて、2基ある傘鉾の順番を決めますが、傘鉾も7番目か15番目のどちらかと決まっています。最後に「後の祭り」に所属する山6基の順番を決めてくじ引きは完了となります。今年の山一番、すなわち2番目に巡行する山は「郭巨山(かっきょやま)」に決まりました。

また、後の祭りの巡行順では橋弁慶山が先頭を務めるしきたりが140年ぶりに復活することになりました。橋弁慶山は西暦1500年に山鉾巡行が復活した際にも「くじ取らず」で後の祭りの先頭を務めており、その理由は定かではないものの、応仁の乱以前から後の祭りの先頭を務めてきました。しかし明治5年に北観音山が復活した際に編成上の都合で後の祭りの先頭を譲り、以後北観音山の次を巡行していましたが、今年は大船鉾の復活に伴って後の祭りの巡行の先頭に戻ることになりました。実は2年後の大船鉾の完全復興に伴って、本来の24日に「後の祭り」を復活させようという動きがあり、もしかすると現在のように17日に全ての山鉾巡行が見られるのはあと2回程の貴重な機会となるやもしれません。祇園祭の長い長い歴史から見れば、行列が17日にまとまってからまだ50年も経っていません。あるべき姿に戻ろうとするのも不自然ではないのです。

さて、復活が決まった大船鉾。船鉾が神功皇后が出兵するときの船で、対する大船鉾は凱旋の船です。ちなみに大船鉾という名前から船鉾よりもさらに大きな鉾が想像されがちですが、実際にはほんの少し大きい程度のもの。もともとは「後の祭り」の最後を巡行する鉾でしたが、1864年の元治の大火によって焼け、その後復興を果たせていませんでした。しかし飾りやご神体は残っており、居祭りとして宵山には町内で展示を行ってきました。ただ、順調に復活への道を歩んできたわけではなく、近年一時期(11年間)は人手不足と高齢化・町家(ちょういえ)がないことなどにより、居祭りさえ行われなかった時期がありました(神事は継続)。しかしこのまま廃れさせてはいけないと町内の有志が一念発起し、お囃子が平成9年に復活、居祭り(懸装品の展示)も平成18年に復活をして本格的な鉾の復活に向けての気運が高まってきたのです。

当然ながら復興には多大な費用を必要としています。大船鉾のホームページでは寄付も募っていますので、ご興味をお持ちの方はご覧ください。個人的には、初めて居祭りで金弊を見た時はその大きさに驚かされたのですが、140年以上もの長きにわたって復活しなかったものが、私たちが生きている時代に復活する日を迎えようとはなんとも嬉しいことです。ただ、祇園祭が日本三大祭りと呼ばれ注目を集めようとも、お祭りは地元の皆様ものです。中には復興に反対された方々もいたことでしょう。関係者の方々の多大なご苦労あればこそ、こうして復活につながって行ったに違いありません。

さて、大船鉾のお囃子は復活の際に岩戸山のご指導によって復興したそうです。また、公募で人員を集め、長年の練習によってコンチキチンの美しい音色を響かせておられます。この日の練習でもヨドバシカメラの大船鉾の木組みが置かれた展示室内には、その音色が大音量で響き、京都駅前に祇園祭の開幕を伝えていました。お囃子の様子は動画もありますので、是非ご覧ください。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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