智恵光院の六地蔵


8月22日・23日は京都では六地蔵めぐりが行われます。京都の古い道の出入口にある6カ所のお地蔵さんを巡り無病息災・家内安全を祈願します。しかし、それぞれの場所が京都の出入口にあるため、全てを回るのは至難の業。そんな方のためにあるのが、智恵光院の六臂地蔵尊。こちらに参拝をすると、全てのお地蔵さんにお参りしたのと同じご利益を授かることが出来るといわれています。

智恵光院は、西陣にある「智恵光院通」の名前で知られています。実際にお寺がある場所をご存じの方は少ないかもしれませんが、道は界隈では広く、第二次大戦中の防火対策による強制疎開で広くなった通りです。智恵光院は浄土宗の本山・知恩院の末寺として鎌倉時代に創建されたお寺です。度重なる大火の旅に復興してきましたが、戦時中の疎開では4つの塔頭を失っています。現在は、拝観寺院ではなく檀家や地元の方が参拝するお寺として信仰を集めています。

さて六地蔵について。平安時代の849年、小野篁が亡くなりあの世で生身の地蔵菩薩に出会いました。篁は教えに従って蘇生し、木幡山の1本の桜の木から死後の6つの世界をそれぞれに救う6体の地蔵を彫り、852年に現在の六地蔵駅の近くにある大善寺に安置しました。それから300年ほど後、後白河法皇の時代に京都に疫病が流行ました。法皇は平清盛に命じて、京都の出入り口6か所に六角のお堂を作ってお地蔵さんを安置し、西光法師に供養させたといわれています。

小野篁はあの世とこの世を行き来した人物として知られ、死後の世界にまつわる数々の伝説を残し、京都では六道珍皇寺や千本閻魔堂などの寺院で名前が出てきます。そんな彼だからこそ、自らの死に際しても「蘇生」することができたのでしょう。六地蔵は篁が死後の世界で見て彫った像ですので、霊験あらたかとされました。人々が死後に行く6つの世界「六道」は、いずれも苦しみある世界と考えられていましたが、地蔵菩薩はそれぞれの世界に赴き、私たちを救って下さる仏様として庶民から厚く信仰を集めていました。

こうした思想から、六地蔵めぐりは室町時代に庶民の間から始まったとされ、一時は13カ寺を巡る大規模なものとなっていた時期もありましたが、江戸時代の寛文年間に現在と同じ6カ寺を巡るようになりました。奈良街道の大善寺、西国街道の浄禅寺、山陰(丹波)街道の地蔵寺、周山街道の源光寺、鞍馬街道の上善寺、東海道の徳林庵が、現在も残る六地蔵です。地図で見ると、かなりの距離があり、交通が発達した現代でも自力で2日間で回るのはそれなりの労力を要しますが、近年はバスで巡れるツアーも人気のようです。六地蔵を巡ると、それぞれのお寺で色の違う「お幡(はた・ばん)」を授与いただけ、家の軒先に吊るすと家内安全・無病息災のご利益があるといわれています。

さて、実際に六地蔵を回る方のための番外の六地蔵が智恵光院に祀られている地蔵尊です。六本の腕を持つため六臂(ろっぴ)地蔵像と呼ばれています。六本の腕を持つ地蔵尊は全国でもこのお寺にしかないそうです。作者は他の六地蔵と同じく小野篁と伝わります。先の通り6体の地蔵を彫り上げた篁ですが、1体の地蔵尊に6体全ての力を込めることが出来れば、より功徳の大きい仏になると考えました。そこで7日間精進潔斎をして像を彫り始めると、一彫りごとに三回の礼をする「一刀三礼」で、思いを込めて6本の腕を持つ像を彫りあげました。

この六臂地蔵像は、百万遍で知られる知恩寺に安置されていましたが、知恩寺の僧(如一国師)が智恵光院を創建した縁で、南北朝時代に智恵光院に移されました。このように全ての六地蔵に参拝したのと同じご利益を頂ける六臂地蔵像。実は智恵光院自体が観光寺院では無いため、きちんとお参りする気持ちを持ってご参拝ください。六地蔵めぐりをしたいけれども全てを回れないという方には、その手を差し伸べてくれることでしょう。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年目。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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