祇園祭 神幸祭 2013年

祇園祭 神幸祭 祇園にて
17日の夕方には祇園祭神幸祭が行われました。

神輿につける長柄17日の午前中には山鉾巡行が行われ、夕方には神幸祭で神輿が巡行します。山鉾がなぜ巡行するのかといえば、神輿が出る前に街々を清める露払いのためです。本格的な夏を前にした街々には疫病を広める悪い神が漂っているとされます。神様は光るところ、尖った所、賑やかなところを好む性質があるとされ、まさに鉾はてっぺんの鉾頭(ほこがしら)がキラリと光り尖っていて、祇園囃子で賑やかです。

八坂神社に参拝する輿丁山鉾の山に使われている木も松がほとんどで、その葉は針のように尖っています。このように、山鉾が巡行することで街々に漂う疫神を集め、巡行後に山鉾を即座に解体することで、消し去ることができると考えられてきました。そうして清められた街を神輿が巡行するのです。神幸祭の起源は、貞観11(869)年6月7日に、神泉苑に当時の国の数を同じ鉾を立て、悪疫退散を願った御霊会(ごりょうえ)が始まりです。なお還幸祭は、同じく6月14日に神泉苑に神輿を送った(流したという説も)ことを起源としています。

神輿につけるカン祇園祭の起源といわれる御霊会とは何か?その話をする前に、当時の時代背景を知っておく必要があります。実は平安時代の「貞観」という年は、全国的に疫病が流行り、天変地異や大きな事件が続発しました。貞観3年には福岡の直方に隕石が落下、貞観6年には富士山が噴火、貞観8年には内裏朝堂院の正門である応天門が放火により炎上(応天門の変)、貞観10年には播磨国で大地震。

八坂神社で担がれる神輿そして貞観11年5月26日には東日本で貞観地震が発生しました。2011年の東日本大震災に匹敵する巨大地震だったとして注目されている地震です。その貞観地震が発生した12日後に、京都の神泉苑に当時の国の数と同じ66本の鉾を立て、平穏を願って行われたのが祇園祭の起源となった御霊会でした。当時の交通状況からしても、12日あれば都にも東北の大地震の情報が伝わっていたと考えられています。

宮本組 神宝列天変地異や大事件が勃発した当時の世相。こうした人智を超えた災厄は、恨みを持って亡くなった高貴な人々の怨霊によってもたらされるとされました。怨霊のことを敬って御霊(ごりょう)と呼び、その御霊を丁重に敬って鎮め、災厄を行さないでもらうのための行事が御霊会です。このように、初めは怨霊を鎮めるために行われた祇園御霊会ですが、やがて怨霊を敬っても一向に天変地異や疫病が静まらないことに、人々は気が付き始めます。そこで今度は、疫病は「外来の神」によってもたらされるという信仰が広まっていきます。現在でも、新型インフルエンザの脅威が海外から聞こえてきますが、点々と広がっていく疫病は、まさに外から突如にして入って来たように見えたと考えられています。

駒形稚児こうして祇園御霊会は、怨霊鎮めから外来の神である「牛頭天王(ごずてんのう)」を鎮める行事へと変化していきました(ただ、貞観11年当初から牛頭天王を祀ったという説もある)。牛頭天王は仏教由来の神で、釈迦が説法を行ったインドの祇園精舎の守護神です。長くなるので省略しますが、牛頭天王は疫病を広める存在として信仰され、その牛頭天王を敬うことで疫病が鎮められると考えられていったのです。

神輿の先導を務める武者神幸祭は八坂神社から神輿が出て、四条寺町の御旅所へと入る神事です。八坂神社は東山のふもとの「洛外」にあり、四条寺町の御旅所(元はさらに内側)は「洛中」で、普段は外にいる神を内へとお迎えする神事でもあります。疫病をもたらす恐ろしい存在ならば、常に外に置いておきたいと思いますが、蘇民将来が牛頭天王をもてなすことによって疫病除けの秘法(茅の輪)を教わることができたように、丁重に内に迎えてもてなすことにより、自分たちを守ってくれる存在になると考えたのです。

神輿を先導する子ども以上、今回はつらつらと祇園祭の経緯を書いてきましたが、何が言いたいかといえば、祇園祭の本質は神幸祭と還幸祭の神輿渡御にあるということ。祇園祭マスターを目指す方は、是非山鉾巡行や宵山のみならず、神輿関連の行事も見て頂ければと思います。神幸祭と還幸祭では、綾戸國中(あやとくなか)神社の駒形稚児の存在も欠かせません。

神幸祭 神輿渡御綾戸國中神社では、スサノヲの荒々しい性質を持つ荒御霊(あらみたま)を祀り、駒形稚児が首から下げる馬の形をした「駒形」に宿って荒御霊は八坂神社へとやってきます。八坂神社のスサノヲは、穏やかな性質を持つ和御霊(にぎみたま)であり、この両者が合わさることで祇園祭が催行できると信仰されているのです。神幸祭・還幸祭では、スサノヲが乗る中御座の神輿を駒形稚児が先導します、神幸祭には年少のお稚児さん、還幸祭には年長のもう一人のお稚児さんが先導をするのが慣例となっています。

八坂神社に馬のまま入る駒形稚児神幸祭の神輿渡御に先立って、八坂神社の境内に馬に乗ったまま駒形稚児は入ってきます。長刀鉾のお稚児さんですら、八坂神社の境内は徒歩あるいは強力(ごうりき)に担がれて移動をしますが、駒形稚児はまさに神と一体となった存在として、特別に馬のまま入って来ることが許されています。本殿脇に馬が乗り付け、強力に担がれて神事のために本殿へと入っていきました。

御旅所前での神事神幸祭の前には、輿丁(よちょう)と呼ばれる神輿の担ぎ手が本殿に参拝し、神輿が舞殿のまわりを回ったりと盛り上がりを見せています。神輿は準備が整うと南門から出て、八坂石段下で3基の神輿がそろい、千名とも言われる輿丁(よちょう)が勢ぞろいをする場面は神幸祭の一番の見どころとなっています。よい場所で見たい方は17時前には行かないと難しいでしょう。絵になる場所は、早くから場所取りがなされています。

石段下の三基の神輿それぞれの神輿ごとに異なる巡行路で御旅所へと向かって行きますが、西御座神輿は祇園を通るため、芸舞妓さんが神輿を出迎える場面を見ることができます。また神輿は四条大橋ではなく、三条大橋を通るのが慣例です。これはかつて四条には橋がかかっていなかったため。巡行路にも祭りの歴史を感じることができますね。

御旅所前での神輿21時頃に中御座神輿が御旅所に到着し、何度も差し回しや差し上げを行って盛り上がった後、神事を行って御旅所へと入っていきます。3基の神輿+1基の子ども神輿のそれぞれにこの流れを行いますので、最後の神輿が入るのは23時頃になります。最後まで見届けようという方は相当な長丁場となりますので、覚悟を持って下さい。17日は朝の山鉾巡行から、深夜に至る神幸祭まで、祇園祭でも24日と並んで長い一日と言えるでしょう。機会がありましたら、神輿の熱気も感じてみて下さい。

ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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