京都御所 秋の一般公開 その1

京都御所 紫宸殿
10月31日から11月4日にかけて、京都御所の秋の一般公開が行われていました。今回と次回でご紹介します。

京都御所 紫宸殿京都御所は秋と春の5日間、一般公開されています。京都御所は普段も申込をすれば参観することができますが、多くの方はこの一般公開の時期に訪れることでしょう。観光バスの団体が何組も訪れ、御所の中は大混雑しています。私も毎回訪れているのですが、思い返せばブログに書いたことがありませんでしたので、今回は簡単ながらご紹介したいと思います。

京都御所 諸大夫の間 鶴の間現在の場所に内裏(土御門東洞院内裏)が設けられたのは、1331年、北朝の光厳(こうごん)天皇の時です。元々の平安京の内裏は、現在の千本丸太町付近にありましたが、度重なる火災によって再建の度に焼失を繰り返し、内裏を失った天皇は公家の邸宅を借りる「里内裏」の形式で居住をしていました。北朝の光厳天皇が現在の場所を内裏としたのも、里内裏としてです。その後、時代は流れて足利義満の時代に南北朝が合一し、義満は土御門東洞院殿を再建するに際して敷地を拡張しています。

京都御所 月華門応仁の乱を経て皇室は厳しい財政難に見舞われますが、戦国時代に織田信長が内裏修理のために多額の資金を献上したのをはじめとして、信長・秀吉の時代に御所の改築が進みました。その動きは徳川政権においても引き継がれ、焼失後も再建を繰り返し、1788年の天明の大火での焼失後は、寛政の改革で知られる老中・松平定信によっても再建されています。その後、1855年に前年の火災を受けて再建されたのが、現在の御所の建物となります。この時の再建は、寛政度にならって、規模や材質に至るまで踏襲されて再建されました。

京都御所 宜秋門さて、一般公開では春も秋も参観ルートは同じで、中の人形展示が少し異なっています。参観は御所の西にある宜秋門(ぎしゅうもん)から。入口では手荷物の簡単な検査もあります。宜秋門は、御所の南の建礼門、東の建春門と並ぶ、桧皮葺の美しい門です。私もよくこの門の前を通って、大学の図書館に行っています。宜秋門は、摂家などの公卿が参内する門だったことから、別名「公卿門」とも呼ばれています。親王や摂政関白、あるいは老年の大臣の他は牛車で通ることは許されておらず、それにも天皇の許可が必要でした。

京都御所 諸大夫の間 虎の間公卿の気分で宜秋門をくぐると、正式な参内の時に使用する御車寄(おくるまよせ)があり、その南に諸大夫(しょだいぶ)の間があります。正式な用向きで参内した者の控えの間で、三室からなり、部屋の襖絵にちなんで、それぞれ「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と呼ばれています。中でも虎の間が最も格式が高いとされました。一般参観では、現代人にも分かりやすい画題とあってか人気が高い一角で、多くの方が写真を撮っています。

京都御所 新御車寄と月華門諸大夫の間の混雑エリアを過ぎると、視界が開け、大正天皇の御大礼(即位の礼)の時に設けられた新御車寄と、紫宸殿を囲む回廊に開いた月華門が現れます。個人的には丹塗りの回廊や月華門の辺りの風景が好みで、毎回この辺りで写真を撮っています。今回は、江戸時代の宮廷行事を伝える公事録のパネル展示も行われて、賑わっていました。

京都御所 承明門を望む個人的におススメなのは、月華門の南にある右掖門(うえきもん)からの風景。紫宸殿南の承明門を望み、ほとんど人が写りこまず、かつ御所らしい写真を撮ることができる場所です。門が額縁のようになるのもよいですね。御所の一般公開はとにかく人が多いので、こうした一角は貴重だと思います。

京都御所 承明門からの紫宸殿同様に、承明門から紫宸殿を望む定番の光景も人気が高いです。この風景を見れば、京都御所に来たと強く実感できるでしょう。とはいえ、写真を撮る人がひっきりなし。数枚撮ったら、速やかに場所を譲りましょう。紫宸殿前へは、回廊を回り込んで日華門から入っていきます。ということで、次回は紫宸殿から先をご紹介します。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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