椿井大塚山古墳 「卑弥呼の鏡」が見つかった古墳

椿井大塚山古墳
南山城の木津川市に椿井大塚山古墳があります。卑弥呼の鏡ともされた三角縁神獣鏡が多数発見されたことでも大きな話題ともなった古墳です。

椿井大塚山古墳京都の古墳では最も有名と言っても過言ではないのがこの椿井(つばい)大塚山古墳でしょう。この古墳は、昭和28(1953)年、JR奈良線の線路の法面拡幅工事中に埋葬施設が偶然発見され、竪穴式石室内から30面を超える三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が見つかりました。しかし、通常の発掘調査での発見ではなかったため、ちょっとしたドラマもありました。

椿井大塚山古墳 古墳を横切る線路遺物の発見が京都府に伝えられ、京都大学の博士が直ちに現地に赴きました。しかし、発見された遺物のうち、目ぼしい鏡の大半は既に持ち去られていたのです。考古学的に非常に意義のある大発見とあって、警察の力を借りて精力的に回収に努めた結果、鏡の大半は何とか取り戻すことができました。割れた鏡はバケツに入れられて戻ってきたそうです。

椿井大塚山古墳古墳から見つかった三角縁神獣鏡は、鏡の縁の断面が三角形になっている銅鏡で、「卑弥呼の鏡」ともいわれています。というのも卑弥呼と同時代の中国は魏の国の年号「景初3年(239年)」の銘が、他所で出土した三角縁神獣鏡に刻まれていたためです。卑弥呼についての記載がある魏志倭人伝では、卑弥呼は魏の皇帝から、景初3年(239年)に銅鏡100枚を下賜されたと書かれ、まさに記述と一致するためです。

椿井大塚山古墳 古墳を通過する列車椿井大塚山古墳での三角縁神獣鏡の大量出土を契機にして、研究が進み、様々な論争が巻き起こりました。実は、単純には「卑弥呼の鏡」とは言えないからです。大きな問題点としては、中国では同じ形式の鏡が1枚も見つかっていないこと、一方で日本国内では既に400面を超える三角縁神獣鏡が見つかっていることがあります。盗掘や消滅、あるいは未発掘の古墳を含めれば、さらに鏡の数は多くなることでしょう。邪馬台国論争も含め、現在もまだ確定的な結論は出ていません。考古学は学問の進みはゆっくりですが、ある日突然、椿井大塚山古墳のような発見があることもありますので、今後の進展に期待しましょう。

椿井大塚山古墳 後円部には登れるさて、椿井大塚山古墳は後円部がJR奈良線によって分断をされています。さらに前方部にも家屋が並び立ち、古墳としての保存状態は良好とはいえませんが、京都でも屈指の大きな古墳です。全長は175mあり、現地に立てばその大きさを実感できます。後円部には登ることもでき、古墳を列車が通る場面を眺めることもできます。前方部は撥(ばち:三味線をはじくときに使う)のように広がって、古墳時代の中でも古い時期の形式が現れており、古墳の築造時期は3世紀末とされています。

椿井大塚山古墳 後円部からの眺め後円部の高さは20mもありますので、見晴らしもよく、古代のロマンを十二分に感じられます。実は、私は学生時代に考古学を専攻し「考古学研究会」にも入っていました。まだ10代だった頃に、考古学研究会の仲間と椿井大塚山古墳に訪れたこともありましたが、当時は今のようにGPSのスマホもありませんので、道に迷った記憶があります(笑)ただ、無事にたどり着いて、高い後円部に登り眺めを楽しみました。最寄駅はJRの上狛(かみこま)駅ですが、棚倉駅からも歩いて行くことができます。京都の考古学ファンが必ず知っている古墳、椿井大塚山古墳。山城古道とともに、訪れてみて下さい。なお、椿井大塚山古墳にさらに興味をもたれた方は、こちらのサイトの解説が充実していますので、是非ご一読ください。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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