京都 過去の大地震を知る

1662年 寛文近江若狭地震 二条城
東日本大震災から3年が経ちました。今回のブログでは、過去に京都を襲った大地震について書いてみます。

津波で流された家屋もう3年、まだ3年、様々な思いがよぎります。衝撃的な出来事でした。当時、既に災害について個人的に様々に学んでいたものの、いざ起こってしまうと、ショックでなりませんでした。いくつかの偶然があって、地震から12日後に東北に入る機会があり、津波によって大きな被害を受けた、気仙沼、南三陸、陸前高田、志津川、石巻など、各地の様子を目にしてきました。一緒に行った父と立ちつくすことも何度もありました。

白い大文字(東日本大震災追悼) 3月見て来たことを忘れないよう、当時長文の手記を書いていました。そのほんの一部を引用します。「途中、本吉に差し掛かる辺りから突如津波被害の光景が広がりました。それまでは本当に普通の道だったのに、突然何もかもが破壊された景色に変わりました。流された車、家、破壊された丈夫な建物、散乱する人工物、土煙…そこがもとどんな場所だったかを想像するのが難しい光景です。道路は、アスファルトは流されていますが、なんとか通れました。おそらく道を優先して復旧し、通れるようにしたのだと思います。気仙沼は電気は来ておらず、信号は止まりトンネルも真っ暗でした。途中にはJRの線路が流されて無残に曲がっている場所もありました。ガソリンスタンドには500m以上の長蛇の列ができていました。後で聞いた話では、この日、震災後初めて気仙沼のスタンドが開いたそうです。中には足こぎ式のポンプでスタンドの地下から汲みだす姿もありました。別のセルフのスタンドは閉まったままでしたが多くの車が並んでいました。でも、帰るときには朝と変わらず閉まったまま。ここは開かなかったようです… 」

1662年 寛文近江若狭地震 方広寺昨年のブログでは「直下型地震」について過去の事例を元に学べることを書きました。今年は、過去に京都を襲った大地震について書いてみようと思います。京都にいると「京都は地震が起こらない(から大丈夫)」という話を、驚くほど多くの人が口にします。しかし、それは誤りです。たまたま近年大きな地震に見舞われていないだけで、歴史を紐とけば数々の大地震に襲われた記録が残っています。全国的に見ても、京都ほど長く細かく地震の様子が残されている都市は稀です。にもかかわらず、過去から学べる知見を多くの市民が知ることなく「地震は起こらない」と思っていることは、非常に残念なことです。過去を知ることで、現実感を持って防災への意識を高め、いざという時に備えて頂きたいと願っています。「知っていれば防げる不幸」があるはずです。

1662年 寛文近江若狭地震 五条大橋京都を襲った大地震は平安時代から記録が残ります。827年8月の大地震(月日は現代の暦に換算)では家屋が多く潰れ、余震は翌年6月まで続きました。887年の大地震は南海トラフに伴うもので、五畿七道で津波被害が発生し、京都では圧死者が多数生じました。938年の天慶の大地震では、宮中で4名が亡くなり、寺にも多くの被害が発生しました。その約40年後、976年の大地震では家屋の全壊が相次ぎ、50名以上が亡くなりました。

1662年 寛文近江若狭地震 土砂崩れ平家が滅亡した1185年にも大地震が襲いました(文治地震・元暦の大地震)。平家が寄進した大寺院はことごとく倒壊し、人々は世の無常を嘆きました。地震直後は普段でも驚くような揺れが1日に20~30回、10日ほど過ぎてようやく減りだしましたが、収まるまで約3カ月ほどかかりました。実はこの地震の様子は、鴨長明の「方丈記」に詳しく書かれていますので、以下引用してみます。

1662年 寛文近江若狭地震 耳塚「山はくづれて、河を埋(うづ)み、海は傾(かた)ぶきて、陸地(くがち)をひたせり。土裂(さ)けて、水涌き出(い)で、巌(いわお)割れて、谷にまろび(ころげ)入る。 (中略) 塵灰(ちりはい)立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす(押しつぶされそうになる)。走り出(い)づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍(はべ)りしか。」
いかがでしょうか。900年以上も前の地震の様子が、ありありと目に浮かんできます。方丈記には他にもいくつかの災害の記録が残されており、しかもすぐに読めるほどの文量です。読書の速い方ならば1時間もかからないでしょう。現代語訳も書かれた本が図書館に必ずありますので、ご一読いただければと思います。

1596年の大地震では伏見城が倒壊した1317年の大地震は、強い揺れや余震が多く、群発地震とも考えられています。揺れに伴い、清水寺も出火したとされます。室町時代の1449年の大地震では、洛中に被害が大きく、死者も多数出ました。豊臣秀吉の時代に襲った1596年の慶長伏見地震は、震源断層が有馬・高槻構造線とされ、震源地により近い伏見で被害が大きく、伏見城は天守が崩壊。二の丸では女房(侍女)が300人余り、城下町では1000人余りの人びとが亡くなったとの記録も残ります。また、築年数の古い家屋が多かった下京で被害が多く、大阪から移転してきた本願寺の寺内町も、家屋の強度が低下していたのか無事な家は一軒もなかったと伝わります。方広寺の大仏も破損し、人びとはおろか自分の身さえも守れなかった大仏に向かって、秀吉は怒りのあまり矢を放ったと伝わります。

1662年 寛文近江若狭地震 八坂神社江戸時代、1662年には寛文近江若狭地震が発生しました。震源域は琵琶湖の北西地域。巳刻(みのこく:午前9時~11時頃)に、若狭湾に面する日向(ひるが)断層が動き、午刻(うまのこく:午前11時~午後1時頃)に、花折(はなおれ)断層北部が動いた双子地震であったという説もあります。京都では、伏見や淀など、地盤が弱い地域で大きな被害が発生した他、八坂神社の石鳥居をはじめ多数の石灯籠も倒壊し、圧死者も出ました。

1662年 寛文近江若狭地震 豊国詣りさらには、デマによる騒ぎも発生しました。浅井了意の「かなめいし」によれば、「豊国神社の周りは揺れなかった」とのデマによって参拝者が殺到し、境内に生えていた草や木を残らず持ち帰って、各々家の玄関に刺したのです。ただ、徳川の世においては豊国神社への参拝はよくないことで、役人が取り調べて懲罰を与えるとの話も広まったり、続く余震に効果がないことがすぐに知れて、人びとは採ってきたものを慌てて家の中にしまったということです。

1662年 寛文近江若狭地震 下御霊神社下御霊神社では、揺れに驚いて、とにかく何かにつかまろうとした子ども二人が、灯籠にしがみついてしまったところ、ほどなく灯籠が倒れ、たいへん無残に亡くなりました。他にも土蔵が崩れて妊婦が亡くなったり、八坂神社の高さ約9mもある石鳥居が崩れたり(鳥居は現存)と、現在の我々が知っている場所でも被害が出ています。地震の時には、灯籠や石鳥居、塀など不安定なものには、絶対に近づかないようにして下さい。

1830年 京都大地震 愛宕神社も建物が谷へ倒壊した1830年の京都大地震が、阪神淡路大震災を除けば京都市街地を襲った最後の大地震です。もう180年以上前のことですので、今京都に生きる人たちはほとんどが大きな地震を経験したことがなく、「京都に大地震が来ない」という気持にもなってしまうのでしょう。この地震では、京都各地で築地塀や町家が倒壊しました。1788年の天明の大火後、町家にも瓦屋根が普及したため屋根が重くなり、被害が大きくなったと考えられています。

1830年 京都大地震 死者が出た一条戻り橋付近各地で詳細な被害状況が残されていて、研究書を読めば、もうありありと状況が想像できます。八坂神社や北野天満宮では石灯籠がことごとく倒れました。現在も神社の参道には数多くの石灯籠が立ち、もし天神市の日にあれが参道に倒れてきたらと思うとゾッとします。一条戻り橋では、橋のたもとにあった蕎麦屋が堀川に崩れ落ちて6名が亡くなりました。二条城や方広寺では大きな石垣が動き、耳塚に立つ石塔の上の部分も落下しました。この地震でも余震が長く続いています。

石灯籠は倒れやすいので大いに危険ここまで読んでいただいた方はお気づきかもしれませんが、京都の大地震には「余震が多い」「余震が数ヶ月と長く続く」という共通点があります。避難した人を精神的にも苦しめ、揺れが繰り返されることによる二次被害も心配されます。ただ、余震が長く続くということを知っているだけでも、心の準備はずいぶんと違うでしょう。「石灯篭が倒れやすい」というのも共通点です。今でも各地に石灯篭・石鳥居が立ち、観光客が巻き込まれてしまう可能性も大いにあります。

耳塚 過去の地震では塔の上が落下したそして過去の京都の事例ではありませんが、条件が悪いと火災によってさらに被害が大きくなる可能性もあります。京都は太平洋戦争で壊滅的な空襲被害にあわなかったため、大都市でありながら古い木造家屋や社寺が数多く残っています。通りも狭く、地震の際は消火も行き届かないため、火災のリスクは大きいのです。天明の大火の際には、火は鴨川を越えたり、堀に囲まれている二条城の本丸さえも燃やしています。離れていても強風時の風下は危険で、避難をする際にも風向きには十分に注意をして下さい。関東大震災の時には、避難場所に猛火が襲い、数万人の単位で焼死者が出たという恐ろしい事実もあります。

地震の前に鳴動すると言われる将軍塚以上、長文をとめどなく書いてきましたが、何をお伝えしたいかと言えば「京都もいつ大地震に襲われても不思議ではない」ということです。そして、過去の出来事を詳しく知って頂くことで、できる限り同じことが繰り返されないようにと願ってやみません。近年は、地震に対する防災意識が高まって来ています。以前に比べれば、たいへんよいことです。いざという時に、少しでも多くの方が助かることに繋がればと願っています。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

吉村 晋弥気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。

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