百万遍知恩寺 二十五菩薩お練り供養 2022年

4月25日に、百万遍知恩寺で3年に1度の二十五菩薩お練り供養が行われました。

二十五菩薩練り供養

知恩寺の二十五菩薩お練り供養は3年に1回だけ行われる貴重な行事です。京都では、10月に泉涌寺の即成院で行われる同様の行事が知られていますが、阿弥陀如来が臨終に際し二十五菩薩を従えて来迎する場面を、菩薩の面をつけた人々が実際にお練りする(歩く)ことで再現します。知恩寺では、浄土宗を開いた法然上人の命日法要に当たる御忌大会(ぎょきだいえ)に際し、法然上人の出身地・岡山にある誕生寺から招かれた方々によってお練りが行われています。誕生寺のお練りは日本三大練供養のひとつで、江戸時代の1700年に始まり、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されています。貴重な行事を京都で見せていただけることに感謝するばかりです。

二十五菩薩練り供養

百万遍知恩寺は浄土宗の京都四ヵ本山のひとつで、元々は慈覚大師によって開かれた「賀茂の河原屋」と呼ばれる神宮寺が前身。法然上人はその地を念仏道場とし、上人亡き後は、弟子の源智上人が法然上人の御影堂を造営して、法然上人の恩を知る「知恩寺」と名付けたのが始まりです。

二十五菩薩練り供養

やがて、元弘元(1331)年に都で疫病が流行った際、各社寺に疫病退散の修法が命じられましたが、ほとんど効果がありませんでした。そんな中、知恩寺の空圓上人・善阿が、7日間にわたり百万遍の念仏を唱えたところ、見事に疫病が収まったのです。感激した時の天皇・後醍醐は、知恩寺に「百万遍」の称号を授け、弘法大師が書いた「南無阿弥陀仏」の名号と、さらにお堂いっぱいの大念数も授けました。弘法大師の名号は、文字の先端が剣のように尖っているところから「利剣の名号」と呼ばれ、現在も寺宝として大切に受け継がれています。

二十五菩薩練り供養

さて、二十五菩薩お練り供養は、阿弥陀様の来迎を表しますので、出発は阿弥陀堂から。そしてあの世とこの世の境目という御影堂へと続く道を進んで、御影堂に上がり、一周して堂内へと入っていきます。お練りをする「菩薩」様は、煌びやかな装束に仏の面をつけていますが、これは前がほとんど見えないものです。

二十五菩薩練り供養

そのため、一人一人に介添えがついて段差などを伝えながら、ゆっくりゆっくりと進んで行きます。菩薩様がズラリと並んで一歩ずつ静々と進んで行く様は、まさに非日常の光景という感を強めてくれます。お練りの先導は雅楽の演奏、さらに境内では鐘が撞かれ、境内全体に厳かな雰囲気が満ちていました。

二十五菩薩練り供養

菩薩様の後には僧侶が続き、「南無阿弥陀仏」と書かれて蓮の花をかたどった五色の紙が撒かれ(散華)、信徒の方が拾っていかれました。例年は百萬遍保育園の子供たちもお練りの様子を見に来ますが、今回はコロナ禍もあって子どもたちは出てきませんでした。ともあれ、無事にお練りが行われ、法要も修されたことは何よりでした。今回はご案内で訪れました。ご参加ありがとうございました。

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京都検定1級に5年連続最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として10年以上。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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「百万遍知恩寺 二十五菩薩お練り供養 2022年」への2件のフィードバック

  1.  知恩寺内の保育園の園児たちが、屋上の柵越しに、お練りを眺める姿も心に残りました。
     お世話になりありがとうございました。

    1. 子どもたちは例年は参道に出てきますが、今回は屋上から眺めていましたね。無事に催行されたことが何よりでした。

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