妙満寺の風景

岩倉の妙満寺を訪れました。「雪の庭」があることで知られています。

妙満寺 雪の庭

妙満寺は、元は現在の京都市役所の北付近(寺町二条)にあった顕本法華宗の総本山です。昭和に入って年々都市化が進んだため、都会の喧騒を避けるため、昭和43年に現在の岩倉の地に移って来ました。本坊にある「雪の庭」は、俳諧の祖と仰がれる松永貞徳によって造営されたといわれる雪月花の三名園のひとつです。いずれも成就院というお寺に作られ、妙満寺成就院の雪の庭、清水寺成就院の月の庭、北野にあった成就院(成就坊)の花の庭とがありました。清水寺成就院の月の庭も、年に何回か公開されています。花の庭は今年北野天満宮の梅苑に復興されたことで話題となりました。

妙満寺

松永貞徳は江戸時代初期に活躍し、妙満寺を会場として正式な俳諧の興業「雪の会」を催しました。これにより連歌から俳諧が独立して認められ、後の松尾芭蕉へも繋がって行きます。その意味では妙満寺は俳諧発祥の地ともいえるでしょう。この時の妙満寺成就院の住職が貞徳の門下生だった縁もあり、寺には「雪の庭」が造営されました。

妙満寺 雪の庭

上記のように雪の庭は、もともとは妙満寺の成就院にありましたが、岩倉への移転に際し、石組をそのままに本坊前に移されました。寺町二条にあった頃から雪の比叡山が庭から望めたことが「雪の庭」の由来ともいいますが、京都市街地よりも雪の頻度が高い岩倉に移ったことで、文字通りの「雪の(積もった)庭」が見られる機会も増えています。緑の時期のお庭も素晴らしく、静かな眺めを堪能することができます。

妙満寺 新たな手水

「雪の庭」は今年の春に石組みはそのままに周囲が改修され、以前よりも木々がすっきりとし、雪の庭の石組みの北側(向かって左)も苔が貼られるなど変化しました。また、手水は境内にあった五条大橋の橋脚の凹面を広げて再利用しているのもポイント。縁側は三和土(たたき)となっています。排水施設も改修され、大雨でも浸水の心配はなくなったそう。借景の比叡山から雪の庭の滝石組みへと水が流れて川となるイメージですが、仏教の母山である比叡山から教えの流れが広がるイメージもあるとのこと。ぜひ、じっくりとお庭を眺めてみて下さい。

妙満寺 雪の庭 2018年撮影

妙満寺では本堂前から大きく比叡山を望むことができます。洛北の比叡山の借景では、円通寺や正伝寺も知られますが、妙満寺が最も比叡山に近く、その分雄大さがあります。境内の建物が小さく見えるほど大きな比叡山には毎回圧倒されます。この景色は本堂への階段を上って振り返ると見られますので、忘れずに眺めてみて下さい。また、有名な安珍・清姫伝説の鐘は本堂内に移されています。

妙満寺 雪の日の比叡山

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京都検定1級に5年連続最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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