悲田院からの京都の眺め

泉涌寺 悲田院
泉涌寺の塔頭・悲田院からは京都の眺めが広がります。

泉涌寺 悲田院泉涌寺の塔頭の悲田院は高台から京都を望める、知る人ぞ知る絶景スポットです。悲田院という名の施設は、聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する福祉施設として造ったのが始まりといわれ、大阪の難波京や奈良の平城京内にも設けられていました。平安京では東西に2カ所の悲田院があり、東の悲田院は鴨川沿いにあって、現在、河原町通御池下る西側に案内板が建っています。それによると1017年に起きた洪水で、収容されていた約300人が流されて命を落としたといいます。なんとも辛い話です。

泉涌寺 悲田院寺院としての悲田院と平安京の悲田院との関係には不明なところもありますが、寺伝によると、鎌倉時代の延慶元(1308)年、無人如導により現在の上京区に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれたとのこと。室町時代に、後花園天皇はこの寺を勅願寺とされ、崩御の時には悲田院でご葬儀や荼毘が行なわれました。その後、江戸時代の正保3(1646)年に、高槻城主・永井直清が現在地に移しました。明治18(1885)年には泉涌寺塔頭の寿命院と合併再興され、現在に至っています。

泉涌寺 悲田院寺には快慶作と伝えられる宝冠阿弥陀如来坐禅像や逆手の阿弥陀如来立像があり、また土佐光起・光成などの土佐派と、橋本関雪の襖絵が伝わっていて、毘沙門天は泉山七福神巡りでは除災招福の仏として広く信仰されています。ただ、通常は非公開ですのでご注意ください。境内からは京都の街並みを南から北へ向かって一望でき、愛宕山や京都タワー、遠くには五山送り火の「左大文字」や「舟形」も確認できます。泉涌寺を訪れる際は足を延ばしてみていただくのもおすすめです。

「京ごよみ手帳2019」訂正のお知らせ

・P39の三十三間堂「楊枝のお加持と大的大会」の日程が1月14日となっていますが、正しくは「1月13日」です。
・P225の「京都御所」のデータで、2番の休みは「月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始・臨時休あり」です。
ご迷惑をおかけいたします。

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ガイドのご紹介
吉村 晋弥(よしむら しんや)

第14回京都検定1級(合格率2.2%)に最高得点で合格。気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。8年ぶりに受験した第13回京都検定で再度1級に合格し「京都検定マイスター」となる。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳」監修。特技はお箏の演奏。

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