石峰寺の若冲忌 2023年

深草の石峰寺では9月10日に若冲忌の法要があり、お寺所蔵の伊藤若冲の作品が8日~10日でこう開催れました。

石峰寺

石峰寺は、深草にある黄檗宗のお寺で、伊藤若冲が下絵を描いて約10年がかりで完成させたという五百羅漢像があることでも知られ、境内には若冲の墓もあります。五百羅漢は撮影ができませんが、ユーモラスな雰囲気さえ感じる独特な表情の石仏がずらりと並ぶさまは壮観です。一歩離れた全体を見渡せる場所にある石仏は若冲自身だとも聞きます。五百羅漢の周囲は竹やぶで、暖かい時期は蚊が多いため十分に対策をしていってください。なお、石峰寺の五百羅漢は撮影が禁止ですのでご注意を。東京の椿山荘(ちんざんそう)には大正14年頃に石峰寺から移された約20体の像がありますので、参考にその写真を掲載します。

椿山荘(東京)の羅漢像

伊藤若冲(じゃくちゅう)は、江戸時代中期の画家で、生まれは高倉錦小路の南東角にあった青物問屋です。23歳のころ父が亡くなって跡を継ぐ一方、30代の頃より絵画を志し、40歳の頃に弟の宗厳(白歳)に家督を譲って画事に専念。当時の京都を代表する画家となって行きました。代表作は「動植綵絵(どうしょくさいえ)」や、金閣寺大書院の障壁画群(相国寺の承天閣美術館蔵)ですが、その作品は比較的多く、京都各地で目にする機会があります。

石峰寺 特別展

若冲が72歳の時、1788年の天明の大火で焼け出されて私財を失い、大阪を経て74歳の時から寛政12(1800)年9月10日に84歳で亡くなるまで石峯寺門前に居を構えました。生活のため米一斗(約14㎏、銀六匁)の謝礼で絵を描いたことから、自ら「斗米庵」(とべいあん)や「米斗翁」と名乗り、現在も境内に残る若冲の墓石には「斗米庵(とべいあん)」の文字が刻まれています(なお、墓石は”若沖”の表記)。

石峰寺 若冲忌

さて、9月10日は「若冲忌」で、石峰寺が所蔵する若冲の掛け軸が4日~10日で公開されました(境内の五百羅漢像の拝観と併せて1000円、9時~16時 ※10日は11時~)。お堂内に入れる人数を制限している関係から、外には行列が延びることもあり、特に今年は10日が日曜日という日程やテレビで紹介された関係からか、長い行列が延びていました。私は9日も訪れましたが、9日はさほど待ち時間はありませんでした。公開される作品は年によって少し変わります。

石峰寺 若冲忌

さて、10日の若冲忌の法要は11時に本堂で始まります。途中で参列者は焼香をさせて頂くことができました。石峰寺は黄檗宗の寺院で、唐音と呼ばれる中国明代の発音による般若心経などが印象的でした。

石峰寺 若冲の墓

その後、場所を若冲の墓所に移して法要が続きます。その際に、若冲が釈迦の入滅の涅槃の場面を野菜や果物で描いた「果蔬涅槃図(かそねはんず)」を模して、大根を中央に沿えたお供えが置かれるのが特徴です。こちらでも順次焼香をさせていただけます。焼香やお供え物は、法要が終わると程なく片付けられ、目にできるのは短時間です。お供え物はカラスが狙うこともあるそうで、短いのも致し方ありません。今年は多くの方が若冲を偲んで訪れていました。

石峰寺 若冲忌 お供え物

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京都検定1級に6年連続最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。毎月第2水曜日にはKBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演中。「京ごよみ手帳 2022」監修。特技はお箏の演奏。

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